慣れない環境での生活がはじまる🏠
20年間鹿児島のド田舎から彼と同棲すべく広島市の都会に住みはじめた私
自分のしたい育児ができる環境のキッカケを作ってくれた彼に感謝する日々と
反対に彼に自分の言いたいことを伝えることができない苦しさに直面した。
彼と5回くらいしか会ったことがなかったからか、コミュニケーションが
上手にできず1か月に1回は喧嘩していました(笑)
そんな中、子供を幼稚園に通わせてながらママさんたちとのコミュニケーション
も本当に嫌で正直送り迎えしたくありませんでした。
そう......鹿児島弁のなまりが当時は恥ずかしくて恥ずかしくて
人と会話するのが大好きだったのに広島にきてからは友達もいなく、親もいなく
自分に自信もなく、人と話す機会は自然と減っていたと思います。
それに旦那のお母さんは昼も夜も仕事をされていて頼みやすい状況ではなっかたし
離婚もしていたため、旦那しかいない......と思い込んでいました
それから半年たったころ3人目妊娠、それを機に結婚
妊娠結婚とありお母さんに頼りやすい環境は旦那が作ってくれました。
義母さんはとても親しみやすかったので、割とすぐ仲良くなれた気はします(笑)
敬語は気も使うし、最初だけでした。本当のお母さんと思って関係性を作っていけば
だれでも義母さんと仲良くなれてすぐに親しくなれると私は思っています!
今では本当の親子です(*‘ω‘ *)www
3人目出産してすぐ......
4人目妊娠!今の旦那との子供は2人ほしいなと思っていたから良かったのですが
年子出産、年子育児の大変さといったらもう。。。今となってわかりますが
いつ鬱になってもおかしくない状態だとわたしは思います!!!
4人目出産してから、旦那とのコミュニケーションが自然とできるようになってい
きます。言っていかないと自分が爆発しそうになるからだ。
そんなこんなで長女は小学1年になり、PTA役員の副会長になりこどもの育児を
1人でできなくなる状況になってしまった。
そんな時に、旦那の会社の社長が現役引退をして暇しているみたいだから少しの間
だったらお願いしてみたら??と旦那に言われて、「なんなら俺が電話しておこうか」とまで言われたから社長にお願いした。そしたら......
喜んで子供の世話をしてくれた!!!!!
当時の社長【重盛さん】は60代後半私としては大丈夫かな?て不安はあったものの
一生懸命こどもと向き合ってお世話したくれたのが伝わってきたから次も頼みやす
かったし、おまけに家も近いとなったらまた頼ってみようかな?とも思えました!
それからというもの何かあるたびに社長に電話してお世話してもらい。
PTA役員が終わる頃にはこどもたちのおじいちゃんになっていました!!!
私自身もしげさんとの見えない絆を感じられるようになり、すっかり広島のお父さん
的な存在になっていてすごく嬉しくて安心するような気持ちになったのを今でも
忘れはしません!今では本当の親子みたいな関係です(=゚ω゚)ノ
そんなやさき......
突然すごいめまいに襲われて......
立つこともできず、その時はほんとうに怖くて旦那に電話
病院で診断されたのが〈急性甲状腺炎〉
原因不明のめまい、動悸で病院に通うことになりある程度の検査をした。
休養とったらめまいはおさまったけど、なんか身体がおかしい!
原因があいまいなまま4か月が過ぎた頃だった
先生「大きい病院でみてもらいましょう」
そして、広島原爆赤十字病院に紹介でいき......
そこで先生に〈バセドウ病〉です。と診断!!!!!
ここから自分と向き合う生活がはじまるのだった。病気ってなんでなるんだろう?
なぜ私がこの病気にかかる?そもそもこの病気っていったいなに?!どうすれば
治る?!
次回、〈バセドウ病〉治療で自分と向き合う自分を知るです。
関係ないですが、夏休みが終わり時間に余裕がでてきたので最低3日に1回は
更新していきたいと思います(/・ω・)/
最後まで読んでくださった方本当にありがとうございました(´・ω・`)✨